「いち事業家のプライベートな記録」


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by generator_tomo
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「愛」と「生活基盤」と「禊ぎ(みそぎ)」

なんでネット業界ではなく、アナログ・リテール業界に入ったのか。そして、その業界を楽しんでいるのか、ふと疑問に思う。

00年に大学を卒業する前に、ネットエイジに入社し、コテンパにやられて(笑)、大阪でネット関連で独立し、失敗し、再就職。

コテンパにやられた感とか、大阪失敗感のインパクトが強かったのかもしれないし、同じく、もっと面と向かったコミュニケーションを渇望したのかもしれない。が、正直な話、ネットビジネスの才能が無かった。

ITバブルな時代に、京都で学生として過ごした私と、東京で直にビットバレーなダイナミズムを実感した人とでは、ネットに対する思い入れが違いすぎる。私は、ただの広告媒体としか見れてなかった。

いずれにしろ、起業するのは、当然の結果で、中学生の時に「財閥を作りたい」なんて、宣言してたものだから、親は私のことを「○○に似てほら吹きね」なんて罵倒してたものだ。

学生最後の集大成、いわば就職活動が、どん底な99年の買い手市場。こんな記事が今だに残っているので恥ずかしい気もするが、(すみません、取材に対し無理やり嘘をついてたのかもしれません)、最終的には、当時の三菱信託銀行の内定を辞退し、亡き父曰く「いばらの道」を進んでしまった。

大阪の後、社会人になってからの5年間、チャンスを探し、チャンスを待ち続けていた。ビジネス交流会を開き、人脈を広げ、そして、企業家になるべく、自分の能力を高めていった。昔の上司に引っ張ってもらったVCでの経験で、会社の基本となるお金の流れとその作用を徹底的に勉強できた。気がする。

体調不良がきっかけでVCを辞め、自らのライフスタイルを実現すべくいよいよなる手段をとった。

いつの日か信頼を構築し、仲間になってくれた資産家からサポートを受け、私のメンターとなってくれた様々な経営者の言霊を感じ、自身の企業ノウハウとコンテンツで最初の店舗を出店する。

ばかばかしい急拡大路線をつっぱしった結果の大失敗と、3年にわたる社員ら仲間とのコミュニケーションを通じて、人生をどうやったらコントロールできるのかわかった。気がする。

自分のゴールは正直見えない。だからこそ、人生を「どう」やりとげるのかに主眼を置く(置かざるを得ず)。

そのポイントないし切り口は3つ。「家族」と「会社」と「政治」だ。言い換えると、「愛」と「生活基盤」と「禊ぎ(みそぎ)」である。今だと、スムーズに40歳で何をやっているのか、予想がつく。
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by generator_tomo | 2009-04-17 06:08 | 社会人(2000/3~2004/1)
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