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蓋(ふた)(生き方/プロローグ)

現在の状況は、私にとっては「我慢」し、資本を蓄積することに主眼を置く状況であって、考える時間ともう一度人生を見直す時間には、最適な状況である。

時折ふと蓋が外れてしまうくらい、現状の停滞が、私のとっては自覚症状の無い「つらい」状況なのかもしれない。

蓋とは、私が勝手に観念的な意味を持たせた単語であって、人生という価値が、「結局は無価値」であると思わせないボトルキャップのようなものである。

この無価値論は、時々私を悩ませ、病気にさせる思想であり、悪魔の思想だと思う。全てが馬鹿馬鹿しくなり、生きる気力さえも削がれ奪われ、この悪魔は私の人生を更なる無価値の状況へ追い込んでいく。

この悪魔との戦いは、かれこれ20年近いかもしれない。いつごろ現れたのかはわからないが、具体化してきたのは、その抑制が効かなくなった20歳前後ではないかと思われる。原因は、ある大事な人の絶望であったり、親戚間の他愛も無い争いで受けた被差別待遇であったりとか、転校後のいじめであったりとか、心がしっかりしていない時期の傷なのかもしれない。

そもそも、こうやってブログを書くこと自体が、例の悪魔は、無価値と思わせるはずであるが、こうやって書いてるだけあって、今はおとなしく寝ているのだろう。

仮面の告白に似た心境かもしれないが、見てはいけないものを見てきた思いもあり、それは自分自身の根幹にかかわることでもあり、そこに勝利しないと次に進めない。それを文章化し、公開することによって、蓋がはずれて見てはいけないものを見てしまった人にとって悪魔との戦いに勝利する一助になるかもしれないし、その思いからあえて公開したい。

この戦いは、終結することなく、人生の最後の一瞬まで、繰り広げられるだろう。だた、彼と無駄な対話をし、結局は戦争となり、彼を乗り越え、蓋をすることによって、ここまでやってきたし、その時々の勝利宣言が、「マイナスかけるマイナスはプラスだ」の「究極のマイナス思考」だったのを思い出す。どうせ死ねないのだから、生きるか。だったら、徹底的に暴れてやろうじゃないか。

しかし、今よく考えると、この勝利宣言こそが、彼に彼を乗じたものであって、彼はさらなる力の根源をその都度得てきたのかもしれないし、私は、彼の手玉に乗せられてただ踊っていただけなのかもしれない。

できれば、彼とは会いたくは無いし、見たくも無い。会わなくてもすむ、見なくてもすむ、状況へ導いてくれるかもしれない思想が、ここにある。それは、「生き方」稲盛和夫著である。オーシャンズの団塊世代社長にも紹介されたし、昨日のサブライム社長からも紹介された本である。いつものごとく、買ってしばらく、積んだままになっていた本だ。

私が政治家をこころざし、一瞬たりとも得た思惑が、「人間の最も醜い状況をみて、死んでやろう」だったし、多分政治家になった後、「死ぬんだろうな」なんて思ってしまった自分がいた。議員会館に入った瞬間に、「死ぬための一歩だ」って思った自分がいた。まさに悪魔の誘惑だ。この本なら、理由や思惑が間違っているのだから、政治家には向いていないって宣告するだろう。まさにその通りだ。

ツール本なら20分、小説なら3時間、岩波文庫なら2日くらいかかる読書時間だが、この本はプロローグを読んだだけでも、一言一言に魂が込められていて、重い。聖書を読んだとき(私の宗教は仏教徒であり神道/気持ち的には無宗教)の重さに似ている気がする。なので、一つ一つ言葉をかみしめ、ブログに掲載していくことにした。

書き方としては、彼の思考をあわせて書くことにし、いかに彼がだめなのかをあらわせればそれでいい。そうやって一つ一つ封じ込め、完全に封じ込めることに成功すれば、私のパワーが多分、宇宙創造の瞬間のごとく、爆発し、原子をつくり、高分子をつくり、生命が創造され、さらに進化していくだろう。完全なる封じ込めは、できるのかできないのか、楽しみであるし、逆にアンチテーゼがいたほうが、人生に深みが出て面白いとか、そういった蛇足はさておいて、「人は人を何故殺してはいけないの?」ってジャビーな高校生の疑問に対する答えくらい難しいだろう。
by generator_tomo | 2009-06-23 09:32 | 潜在意識

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