「いち事業家のプライベートな記録」


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by generator_tomo
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ラッシュライフ

ラッシュライフ (新潮文庫) 伊坂幸太郎著

5つの物語が同時に進み、徐々に登場人物が交錯する、スリリングな小説。登場人物が交錯する時間を整理すると、振り出しに戻ってしまうような、いわばエッシャーの「騙し絵」的な物語である。

権力者に邪魔をされて画廊を開けなかった佐々岡の「プラナリアの実験の話」。

「プラナリアは水がないと生きられないらしい。で、そいつを容器に入れる。入っていた水を抜く。水は一箇所にしかないようにするんだ。そこにライトを当てる。そうすると水を求めて移動する。」「それを繰り返すとだ、プラナリアはライトが当たる場所に移動するようになるんだ。水が無くても移動する。」

その実験を何度も繰り返しら、
「ある時から、今度は全く動かなくなった。ライトをいくら当てても、移動しなくなった。そうして水がないまま死んだ」

その理由は、
「プラナリアが、「飽きた」からじゃないかといわれている。同じ繰り返しに飽きたんだ。・・・この原始的な動物ですら、同じことの繰り返しよりも自殺することを選ぶ」

繰り返しの人生。30代40代、結局だれしも似たような人生。同じような人生を歩み、だいたい死ぬまでの30年40年がどのようになるのかが、わかってしまう年代でもある。人がどのように考えて生きているか、何を感じていきているのか、自分がどのように今後感じていきるのか、「わかった気になる」、もしくは「わかってしまう」年代だ。まさに、我々は、騙し絵のごとく「人生は繰り返えされる」ことを、既に予見している。というか、知っている。

本当はわかりきった、つまらない人生を、飾り彩どり、面白いように見せかけなければ、プラナリアのように死ぬ選択をしてしまう。

プラナリアの話、
「容器の内側の材質を変えたり、状況を変えるとまた学習を続けるらしい。」

泥棒の黒澤は、「金や外見やステータス、そういうわかりやすいのが俺も好きなんだ。体裁や地位。もしかしたら物事の本質はそのあたりにあるかもしれない。目に見えない愛情だとか、仲間意識だとか精神的な価値なんてのは胡散臭い宗教と同じ」と言う。

私に言わせると、両社ともども生きる糧、いわば「飾り彩どりの部分」となる。人生におけるエンターテイメントだ。プラナリアが学習を再開するきっかけとなる、「状況変化」だ。両方とも無い人は、生きている人の中で多分いないんじゃないだろうか。でなきゃ廃人になっているか死んでいるかのどっちかだ。

笑っちゃあいけないが、「1000億円稼ぎます!!」そう、お金。「ありがとう!!」そう、感謝。そういったものが無ければ生きていけない。仏教徒なんですが、瀟洒な教会で!!。こたつにワイン。スーツにちょんまげ。パスタのご飯セット。刺身をあてに牛乳。足の指にイヤリング。美川憲一とロボコップ。牛丼屋のまぐろ丼。ラーメン屋のハンバーグ。ハロウィーンってなんだウィーン。

私にとっては、実はどうでもいいっちゃあどうでもいい。こう書くと、自殺の直前か、もしくは廃人の一歩手前だと思われるが。だたどういう分けか、運良く娘がいる。娘を抱きしめていると、なぜかわからないが、生きる意欲がわいてくる。

この作品の「絶望」の中、唯一の救いはこれだ。黒澤が言った「誰だって人生のアマチュア」論。
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by generator_tomo | 2009-10-31 02:07 | 雑談
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