人気ブログランキング | 話題のタグを見る

軍艦島

ちょっと、今日は事業とは関係の無い話題で。

咳がやはりとまらず、30分に一度は発作的に発生。夜もぐっすり眠れない感じです。体力大幅に消耗中です。

軍艦島_e0061109_1253971.jpgある友人をきっかけに、軍艦島に興味を持ち始めていろいろと調べたりしてました。なんか、すごい歴史ですね。時々というのか、3回ほど夢に出てきました。激動の時代、高層ビルが乱立する狭い島で、炭鉱に働く人々の生活が送られていたんだと思うと、なぜか熱い思いになりますね。紹介サイトにも、書いてありましたが、僕達が忘れてしまった「何か」があるような気がします。なんか、食指が働くんですよね。↑この画像は、google earthでキャプチャーした画像を縮小したものです。

http://www.gunkanjima-odyssey.com/index.html
http://home.f01.itscom.net/spiral/hashima/hashima001.html
http://www14.big.or.jp/~kawamura/m-city/photo_gallery.html

<歴史>(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
19世紀に石炭の存在が発見される。明治時代初期には鍋島氏が経営。1890年から三菱財閥の所有となる。石炭採掘のため周囲を埋め立て、また鉄筋コンクリート造の集合住宅群を建設した。海上から見たそのシルエットが、日本海軍の戦艦「土佐」に似ていることから、軍艦島と呼ばれてきた。実際、戦時中に米軍潜水艦が本物の軍艦と勘違いして魚雷を撃ち込んだというエピソードもある。良質な強粘炭が取れ、隣接する高島炭鉱とともに、日本の近代化を支えてきた炭鉱の一つであった。石炭出炭量が最盛期を迎えた1941年には約41万tを出炭。人口が最盛期を迎えた1960年には5,267人の人口がおり、人口密度は東京特別区部の9倍以上に達した。炭鉱施設のほか、住宅・学校・店舗・病院・寺院・映画館・理髪店などもあり、島内において完結した都市機能を有していた。

1960年以降は主要エネルギーの石炭から石油への移行(エネルギー革命)により衰退。1965年に新坑が開発され一時期は持ち直したが、1970年代以降のエネルギー政策の影響を受けて1974年1月15日に閉山した。閉山時に約2,000人まで減っていた住民は4月末までに全て島を離れ、無人島となった。この時期は、日本の高度経済成長の終焉と重なる。
by generator_tomo | 2006-07-21 01:29 | 潜在意識

記録


by generator_tomo