「いち事業家のプライベートな記録」


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by generator_tomo
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カテゴリ:大学時代総論( 2 )


僕はサークルを作った。

僕は1回生の時から、勉強会と称して、講義の合間に国内や国際政治の問題点(いろんな分野があるが)について理解を深めるための意見交換会みたいなものを、友人の牧田T男と中庭などで開催していた。

当初二人だけだったメンバーが、週ごとに1人ずつ増えたり減ったりで、2回生(96年4月~)のはじめ頃には、6~7人ほどに増えていた。

友人と議論を交わしながら、この時の僕は、高校生の時から漠然と描いていた夢、「国連職員」になることを実現するためには、外大の交換留学生として米国の大学で学び、米国の大学を卒業しなければならないと思っていた。
同時に一方で日本の国益を代表する外交官にもなりたいと、思い始めていた。

外交官試験合格者の体験記を読むと、よく「外交官試験勉強会に参加していた」との内容を見た。もし、この大学が東京にあれば、自分で試験の勉強をしたこともない学生が、勉強会を起こそうと思わず、既存の勉強会の様子を見に行ったかもしれないし、そこに入会していたかもしれない。

しかし、この外大には学生が勉強することを恥じるようなそういったアホカルチャー(アホカル)が底辺に流れていたと思われるほど、それらしき勉強会はまるで無かった。

「よし、外交官試験勉強会を作るぞ!」

そう僕は決断した。1996年5月のことだった。

で、僕は何をやったかというと、大学の図書館にあった外交官試験問題集のすべてに、「一緒に外交官試験勉強会をやりませんか?電話番号は06-○○○○-○○○○です。」とボールペンで堂々と書いたのだった。うーん、これは器物損壊か。

しかし、さすが外大生、そんな本などとるものおらず、なかなか連絡が来ない。いや、連絡を期待するほうが間違っているのか。そうしているうちに、国連職員/外交官の第一歩となると思っていた「交換留学生試験」の準備のために、1996年7月~8月にかけてオーストラリアのパースにあるカーティン工科大学へ語学留学に行くことに決めた。(今から考えると、よく親は我慢してお金を出してくれたものだ。)

1ヶ月半のオーストラリア滞在の後、関西国際空港を降りて、大阪市内からさらに50分の田舎にある下宿先について、電話の留守録を聞いたところ、フィリピン大使館へ在外公館派遣員として派遣されて帰国していたN岡さん(今でも家族ぐるみで付き合いのある友人)から伝言が入っていた。

「は、はじめましてN岡と申します。今まで在外公館派遣員として某大使館で勤めておりました。9月から4回生に復帰したので一緒に外交官試験の勉強会を開催しませんか?よかったらコールバックください。」

さわやかな声だった。

早速、電話して翌日、外大の掲示板前で待ちあわせすることとなった。電話中にふと、よく様々な政治の問題について議論をし合っていた例の牧田T男、「確か、あいつも外交官試験に興味があったなあ」と思い出し、あの長い顔が脳裏に浮かんできたので、「牧田T男という勉強会に興味があるやつがいるんですが、一緒にいいですか?」とN岡さんに尋ねたところ、こころよく了解してくれたので、3人で待ち合わせすることとなった。

1996年9月、3人は外大の掲示板前で出会い、勉強会を週に2回ペースで行う運びとなった。

この勉強会が、後にディベートサークルとなり、私の暴走によって(決して私は暴走したとは思っていないが。)○○な思想を持つ人たちの学生任意団体と化すのであった。

(あえていうとN岡さんや牧田T男は私ほど極端ではなく、むしろ傍観者であり、私よりも中立的な立場であり、議論を楽しんでいた。従って両者がこのサークルを主催していたとしても、○翼的な思想を持っていたということにはならないので、ご留意いただきたい。最終的に他サークルを実質的に融合するなどして、急進派が増えたことによる「一部の暴走」といったほうが良いかもしれない。)

しかし、今から考えてみると、N岡さんほど、参考書の落書きを見て電話するもの好き怖いもの知らずも珍しい。笑えるエピソードである。
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by generator_tomo | 2005-08-19 01:15 | 大学時代総論

僕の大学生時代総論(4つの時代)

僕の大学生時代は4つの時代に分かれます。

1st Stageは、大阪の某外国語大学に通っていた時期で、且つ日本拳法部というバリバリの体育会に入っていた時期。
(1995年4月~1996年3月)

2nd Stageは、大阪の某外国語大学に通っていた時期で、且つ日本拳法部を退部、交換留学候補生に合格、しかし辞退し、議論(ディベート)サークル(ある意味政治団体だった)を主催、活動していた時期。
(1996年4月~1998年3月)

3rd Stageは、大阪の某外国語大学を退学し、京都にある私立大学法学部へ編入学し、学生起業する前後、及び某最大手信託銀行に内定までの時期。
(1998年4月~1999年2月)

4th Stageは、就職活動終了後から、起業を決意し銀行内定を辞退、その後東京のネット関連ベンチャーへ就職した時期。
(1999年3月~2000年3月)

上記見ると、あまり「遊」んでいないような気がします。

お金もないというより両親にはたくさんもらっていたし、育英会の奨学金ももらっていたけど、読まない本を新刊で大量に買っていたので、遊ぶお金がなかったんだと思います。

むしろ、高校の時の反動で、1st Stageでは、一般的な大学生の平均学習時間の10倍くらいは勉強していたような気がします。とにかく、何かやりたい、運動したい、夢を実現したい、いやその前に夢を探したい!!と必死にもがき苦しんだ時期だったような気がします。

自分の中で、徐々に目の前に迫る「社会」が現実味を帯び始め、あせっていたのかもしれませんし、後輩に言わせれば「生き急いでいた」のかもしれません。

あせっていたと思わせる具体的な例は、次のとおり。

クラブを退部議論サークル(ある意味政治団体)の結成交換留学辞退某外国語大学退学某京都にある大学への編入学様々な資格試験を断念学生起業最大手信託銀行内定辞退起業断念後ネット関連ベンチャーへ就職、などである。

一見すると戦略なきバカのようです。
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by generator_tomo | 2005-08-18 11:15 | 大学時代総論